山口百恵の伝説コンサート直前の「ある事件」真相

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伝説のコンサートの直前の「ある事件」山口百恵。

最後の引退ステージで、マイクを舞台に置いて去る。 その伝説は色褪せることなく語り継がれています。 粋な演出と斬新なアイデアで「伝説のコンサートのと言われました。 その舞台裏には、なにやら事件が起こっていたようです。

山口百恵という人間

伝説のアイドル、特に70年代のアイドルの生い立ちは、あまり裕福なイメージや、楽しそうなイメージがないかもしれません。 伝説のアイドル、山口百恵さんもそのひとり。
デビュー当時、山口百恵さんの家庭は母子家庭。
しかし、実は認知されていたものの、「愛人の子」であった真実をベストセラーとなった、自身の自伝本「蒼い時」にて発表。

そして、山口さんは、晴れて三浦百恵となるため
自分の稼いだ相当額を手切金として。

完全に親子の縁を切ったのです。

デビュー後、大人たちの戦略によって「性」を感じさせる危うい歌詞の楽曲でデビューし多くの少年たちを熱狂させる存在となりました。
そして、1980年。 デビューからたった7年間で、芸能界から引退を決意。 山口百恵さんはとても21歳と思えないオーラを放ち、コンサートのラスト、ステージの上に白いマイクを置いて勇退。 ファンと芸能界からの旅立ち。 俳優、三浦友和さんと結婚。 二度とマスコミの前に現れることはなく、デビューから7年間の、最後まで。 その出来事は、今でも「伝説」として、若い世代まで語り継がれています。

ラストステージの裏側で起きた事件

そんな感動と、伝説を残したラストステージですが、裏側ではある「事件」が起きていたようです。
「宇崎竜童さんと阿木ようこさん夫妻と初めて、タッグを組んだ。「横須賀ストーリー」ができたとき、そこから百恵さんは変わっていきました。引退コンサートでは、「これさえ歌えればよかった」そう思うくらい。心の入った曲だったんです」(関係者)
しかし、コンサートの選曲や曲順には、並々ならぬこだわりを見せていた百恵さん。 その選曲を巡って、百恵さんのファンの間では、ある「都市伝説」が囁かれているのだという。
「百恵ちゃんは、横須賀ストーリーより前の曲は歌いたくなかった。ですから、当初、デビュー当時の曲は全く入っていませんでした。
そこでTBS側が百恵ちゃんと、親しい人を介して説得しようとしたんです。
すると百恵ちゃんを「私の大事な友達をなんだと思ってるの!!」と余計に怒らせてしまって。
百恵ちゃんは「もう放送はいらない」とまで言ったんです。
最終的には、マネージャーが説得して、「わかった」ということで治りました。
ラストステージの隣の席は「西城秀樹」さんでした。
「彼女が最後に、マイクを床に置いたとき。僕も秀樹もアーティスト席の皆が、客席の方たちより率先してスタンディングオベーションをしたように、僕ば記憶しています。」(当時のマネージャー)
この伝説の「150秒」にも、百恵さんの強い意志が込めあっれていたのではないのでしょうか。 当時、「演出でマイクを置かせたのか」という議論や話題で埋め尽くされていたといいますが、当時の関係者たちは常に「そうではない」と行っているようでした。 やはり、百恵さんの「最後のきもち」だと、彼女のメッセージをあのbんぶたいに込めて作ったのでしょう。 とにかく、21歳という若さながら、周りの大人たちをも巻き込んでいく。 非常に、影響力の強かった女性と言えますね。

時代の流れと「いま」

知れば知るほど、今の時代にはそうそういない存在だったと思えます。 大人たちの意見をも押し切り、自分のしたいこと、理想を、ファンのために押し切る。 すごくかっこよく見えました。 反対に、いまのじだいには、さすがに「百恵さん」のような、21歳ながら芯の強い女性像を持ちながら、儚い少女性も持ち合わせている。 「アイドル」という概念を一切崩すことなく、7年間という短い芸能生活に幕をおろしました。 引き際まで美しく感じますね。 なんとなく、今のアイドルとの違いは、「百恵さん自身が、最初から最後まで自分の演出の仕方に関わっている」ことだと思います。 お膳立てされてよういされた場所で、言われた通りに動くのではなく、「全て自分の思い通りに」という気持ちの強さが伺えます。 もともと、気の強い女性かも知れませんが、私の知っている限り、若くして舞台の裏方のことなども関わっている人といえば「浜崎あゆみさん」くらいしか思い浮かびません。 プロ意識の強さと、芯の強さがあるあまり。 周囲の大人たちとぶつかりながらも、「もっといいものができるはず」売り上げや、客単価など「大人の事情」で考えているのではなくて 「ファンに喜んでもらいたい」 この一心が、全て突き動かしているように見えます。 21歳という若さで、大人に向かって貫き通すことはなかなかできないことなので、やはりもともと生まれつき「スター気質」だったのでしょうね。 いまの「時代」ではなかなかいない人材だったからこそ「伝説」になったのかもしれません

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